僕が「おも校」をつくろうと思った理由。 はじめまして、 デザイン教育実践校「地立おもしろい学校(以下、おも校)」理事長兼プロデューサーの、丸川と申します。 普段はグラフィックデザイナーやクリエイティブディレクターとして仕事をしている僕が、どうして「おも校」を作ろうと思ったのか、その理由をお話したいと思います。 かなり長いですが、お時間のある方はどうぞお付き合いください。

日本ではまだまだ、デザインは見た目をよくして売り上げをあげるための「装飾」のことで、デザイナーといえば、ロゴやパッケージやウェブサイトを制作する人、という誤解が根強く残っていますが、世間一般的にそこしか目に触れないのでそのような誤解が生じてしまうのは仕方ないことかも知れません。 でも実は、ロゴにしろパッケージにしろウェブサイトにしろ、見た目の部分であるそれらは、デザインの中の「スタイリング」と呼ばれるいち部分にすぎず、スタイリングだけを担当する人は、正確には「デザイナー」ではなく「スタイリスト」と呼び、その違いは、発生した問題に対する「解決策」を考える立場にいるかどうかです。 多くの場合は社内の人だけで会議をして解決策を決定し、そのうえでデザイナー(正確にはスタイリスト)にその制作を依頼する、というのがよくあるパターンですが、もしも「解決策」自体が間違っていたら、それをもとにどんなに素敵なロゴやウェブサイトを作っても、問題の根本は解決しません。 もちろん「スタイリング」はデザインの中のものすごく大切な役割のひとつですが、デザインやデザイナーの本来の役割は「デザインの視点と考え方」で様々な問題の本質を見出し、それらを見事に解決することです。 なので、例えば、売り上げが落ちてしまったなどの問題が発生し、それを発見した時点でデザイナーに「解決策」を見つけ出してもらうのが本来のデザイナーの活用法であり、もしくは、今はまだ問題とは認識されていないけどいずれ問題になることを発見するのもデザイナーの得意なことなので、デザインやデザイナーを正しく活用していただきたいなと思います。


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さて、デザインやデザイナーの本来の役割をご理解いただいたうえで、本題に入りましょう。 デザイナーとして、これまでにいくつもの「問題の発見と解決」に関するプロジェクトに参加および企画をしてきましたが、どの問題も本質を突き詰めていけば、最後は必ず「教育」の問題に行き着きます。 これは、日常的な問題に限らず、世界中のどんな問題にも、貧困や格差や戦争にだって同じことが言えるのではないかと感じ、やがてそれは確信となって、いつからか僕の中に、根本の原因である「教育」をデザインしなければ真の意味での解決はないという思いが、ごく自然に湧き上がっていきました。

それからは、デザイナーとしての普段の活動と並行して、「教育のデザイン(問題の発見と解決)」をテーマにした様々な活動も続けてきました。 例えば、2015年から三重県内の小学校で毎年行っているデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN~デザインを手にいれたコドモたち~」では、僕らが考案した特別なカリキュラムを使用し、数日間にわたって、子ども達に「デザインの視点と考え方」の授業を行っています。 デザインの授業といっても、デザインソフトの使い方とかではなく、デザインとは何か、デザインの視点と考え方とは何か、それらをどう活用すればよいのかなど、デザインが「わかる」子ども達を育てることを目的とした授業です。

この授業を受ける前と後では、子ども達の目の輝きや思考パターンが変わるのがよくわかります。 例えば、「目線」でしかモノゴトを見れていなかった子ども達が「視点」を手にいれることで、表面的なことではなく、本質的な何かに気づくことができるようになったり、「A」と「B」しか選択肢がないと思い込んでいた子ども達が、そこに新たな解としての「C」を自分で生み出していく方法に出会ったり、まるで迷路を上空から眺めているかのようにスイスイと問題の本質を見抜き、解決へとたどり着いていく様子に毎回驚かされています。 デザインを手にいれた子ども達は、この先の成長の過程で出くわす様々な問題やトラブルにも、デザインの視点と考え方を活用してそれらを見事に解決していってくれるでしょう。




デザインを通して子ども達と触れ合う機会が増えるにつれ、日本の教育の現状を目の当たりにすることも増えていきました。 デザインと出会い、未来は自分で創っていけることを知った子ども達がいる一方で、社会全体を見渡してみると、様々な原因によって心を暗闇で覆われてしまった子ども達もたくさんいて、学校へ通うことも、学ぶこと自体にも気持ちが向かず、やがて暗くて長いトンネルや暗闇に閉じこもってしまうケースが年々増えています。

「おもしろい(面白い)」という言葉の語源は、暗くて長いトンネルや暗闇から抜け出して、目の前(面)がパッと明るく(白く)なること。 本来、学ぶことは楽しいことであり、分からなかったことが分かるようになることは「おもしろい」ことのはず。 そして「おもしろい」とは、自分の人生を照らす光であるはずです。 子ども達に限らず、世の中には、勉強が嫌いだった、学校が楽しくなかった、そういう大人達もいます。 全体から見れば少数でも、もしかしたら、「学ぶ楽しさ」を学ばずに、「分かる」おもしろさを知らないままに、大人になってしまったからなのかもしれません。

少子高齢化が加速し、子どもの数は今後ますます減少していくことが予測されます。 文科省が作成した「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によれば、小学校・中学校における不登校の児童生徒数が2020年度には20万人近くに達する見込みで、子どもの数が右肩下がりに減っているのに対し、小中高の不登校児の数は右肩上がりに増えていたりします。 この現象は何を意味しているのでしょうか?


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さらに最近では、将来に希望が持てないと答える若者達も増加しています。 その中には、かつて、「学校が楽しくない」、「学ぶことがおもしろいと思えない」と感じた経験を持つ者も多く、社会に出てからも、自ら積極的に学び、自身を成長させることに前向きではありません。 どうせ学んでも、どれだけ自分に投資をしても、社会はおろか、自分の半径数メートルの環境すら変えることができないと下を向いてしまう。 絶望と不安を抱えて居場所を見出せないままで、社会への当事者意識など持てるはずもありません。


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今の日本の学校を「旧態依然だと思う」と答える人も増えています。 いじめや不登校の問題、貧困や虐待などへの対応、インクルーシブ教育や英語教育、授業改善や学力向上、ICT授業への対応、キャリア教育、保護者や地域との連携などなど、時代の急速な変化と、その他様々な「教育改革」という名のもとで、現場の教員にかかる負担は年々増加し、学校も教員も常に息切れの状態が続いています。 これは、教育を学校や教員にばかり押し付けてきた社会全体の弊害であり、このままではますます学校教育の質が低下し、明るい未来を創る人材の育成などまさしく「絵に描いた餅」となってしまうのではないでしょうか。

そのため、その代替(だいたい)案として日本でも増えているのが、シュタイナー教育やモンテッソーリ教育などの「オルタナティブ(代替)教育」や「森のようちえん」と呼ばれるスクールです。 スクールにもよりますが、多くの場合、先生も校則も宿題もなく、子ども達が真に自由に、自らの想いと考えで動き、学び、遊び、そうやって自主性や創造性を伸ばすことに特化したカリキュラムが特徴で、スクール独自の教育理念や運営制度が多くの共感を呼び、生徒数も年々増加しています。


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オルタナティブ教育の素晴らしい取り組みは、私たちを含め、様々な分野のクリエイター達にたくさんの刺激と学びと希望をもたらしてくれました。 この取り組みから私たちが学べるものははかり知れません。 でも、だからこそ、デザインの本来の役割が「デザインの視点と考え方」で様々な問題の本質を見出し、それらを見事に解決することであるように、デザイナーやクリエイターの本来の役割も問題の発見と解決にあるはずです。 だとすれば、日本の学校や教育が抱えている問題を解決していくことも「クリエイティブ」が取り組むべき、もうひとつの大切な役目なのではないでしょうか。


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